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義実は立ち上がった。
先程、この崖の上で横になってから、
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
まだ、風は強く、吹いていた。
台風は今、どの辺なのだろうか。
そんな事を気にしても仕方がないが、気にしてしまう。
崖の下を覗く。
「怖いな~」
つい、口から声が漏れる。
義実は崖の上で目を瞑り、直立不動になる。
そして、手を振りながら、何度か深呼吸をした。
突然に、更なる強風が義実を襲う。
義実はバランスを失い、崖下へと落下して行く。
『あれ!?まだ心の準備は出来てなかったのに』
『まあ、いいか』
『これで、もう死にたいなんて、
思わなくても済むようになれるのかな』
義実は、それだけ思って気を失った。
義実は夢を見ているようだった。
自分の目線の先に、幼き日の自分がいた。
幼い自分は泣いていた。
いつの事だろう。
何で、泣いているのだろう。
いつも泣いていたから、何も特定は出来ない。
でも、あの頃はまだ、幸せだったんだな。
そんな事、忘れていた。
そう言えば、いつからだろう。
自分が笑わなくなったのは。
そうだ。
母が死んでからは笑った覚えがないな。
少なくとも、それよりは前であろう。
勿論、作り笑いや苦笑いは別である。
とにかく、懐かしい。
目の前の自分は泣いているけど、
この頃はまだ、笑う事も出来た。
ああ、本当に懐かしい。
なんか、泣けてくるな。
泣いたのも、いつ以来だろう。
もう、わからない。
そして、消えていく。
夢が消えていく。
☆参章/死望者☆
完
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- 2016/03/08(火) 06:07:04|
- 参章/死望者
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義実は、この五年もの間、特に軟禁されていた二年間に、
沢山の事を考えさせられた。
その中でも、【死望者】である義実は、
〔命〕について考える事に、一番多くの時間を割いた。
この世界では何故、〔自殺〕は否定されるのか。
また、それ以前に、〔死〕すら否定的に考えられてもいる。
何故、生きる事だけが、正しいとされるのか。
自分のように、死を望む者に生きる事を強いる事は、
生きる事を望む者に死を強いる事と、
変わらないように思う。
そう、例え、生きる事であっても、死を望んでいる人に、
それを強いてしまえば、殺人と同じじゃないのか。
要するに、生と死は表裏一体であるはずなのに、
一方的に死だけを悪く見る、
そのようなものの見方に、疑問を感じたりもする。
〔生〕と〔死〕は同等に、
尊ばれるべきものなのではないだろうか。
勿論、これは真理の部分の話であり、
哲学的な話にもなるであろう。
現実の人間社会は、そうもいかない事もある事は理解する。
死を望んでいる人間であろうと、
簡単に切り捨てる訳にはいかない。
例え、建前であったとしても、詭弁であったとしても、
全ての人を救おうとしなければならないのが、
社会というものなのだろう。
そういう意味で、人間社会において、
〔自殺〕は否定されるべきではあるのだろう。
しかし、否定されるべきであるからこそ、
肯定する事も必要だと義実は思っていた。
矛盾するのかもしれないが、
この世界は特定の者達だけの世界ではない。
一方が存在すれば、必然的に反対側も存在する事になり、
その中間のものも、当然に出て来るであろう。
それら全てが、肯定されるべきだと思う。
あらゆる矛盾があっていいのだ。
いや、元々この世界は、
あらゆる矛盾を孕んでもいるのだろう。
それなのに、人間は自分の都合で善悪を決め付けて、
悪の方を一方的に排除してしまおうとする。
矛盾を受け入れようとしないのだ。
あくまでも、白黒をはっきりさせて、〔正義〕を主張する。
そして、立場を違えた〔正義〕がぶつかり合う。
何故、違いを認めようとしない。
何故、矛盾を受け入れようとしない。
違いがあるからこそ、世界はこんなにも、
豊かなのではないだろうか。
矛盾があるからこそ、我々は苦しみながらも、
前へと進む事が出来るのではないだろうか。
違いを認める事が、この世界が持つ、
多様性の素晴らしさを享受する事に繋がり、
矛盾を受け入れる事で、人間一人一人、
そして、社会全体の成長を促す事も出来るのではないか。
そのような感じ方をしている義実にとって、
現代社会は、〔生〕の尊さだけが強調され、
〔死〕の尊さが蔑ろにされている部分があり、
それが人類を憎しみの連鎖で、
縛り付けてしまっているように感じてもいた。
そして、義実もまた、そんな憎しみの連鎖に縛られている。
憎しみの連鎖から抜け出せないでいるのだ。
自分の事をいじめてきた奴等。
父親。
自分自身。
何もかも。
どうしても、憎まずにはいられない。
そして、〔何もかも〕の所で疑問にぶつかる。
いつもの事である。
その疑問にぶつかる事で、
義実は自分が、死を望んでいる事に気付かされる。
これも、いつもの事である。
そして、周囲を見回すと、〔死〕が否定されてばかりいる。
死を望んでいる義実には、それがとても苦しかった。
自分自身の存在そのものを、
否定されているようにも感じるからだ。
〔死〕を否定されてしまう世界に、
自分の居場所は無いように思う。
〔死〕を望んでしまう自分は、この世界に相応しく無い。
相応しく無い世界にいるから、苦しまなければならず、
その苦しみに耐えられないので、死にたくなる。
恐らく、このような苦しみ方をしている方は、
自分の他にも相当数いるのではないだろうか。
義実は、そんな風に思っていた。
実際に、毎日の様に多くの方々が、
自らの命を断っている。
その中の何割かは、そのような苦しみに耐え切れずに、
自らの命を断たなければならなくなるのかもしれない。
確かに、〔常識〕という社会通念において、
〔死〕は否定されて然るべきではあるのだろう。
しかし、余りにも、そのような、
〔常識〕に捉われる事で、柔軟性を無くし、
〔常識〕から外れたものを排除してしまうような、
そんな価値観の構築と強要がなされていて、
それに耐え切れなくなる者も出てくるのではなかろうか。
そして、そのような事は大人よりも寧ろ、
人間として未熟である子供達に、
より影響があるように思ったりする。
死を求める〔心情〕と、
死を遠ざける〔常識〕との板挟みにあい、
にっちもさっちもいかなくなって、
結果的に死を選択せざるを得なくなる。
そういう子供達も少なくはないように思う。
義実自身も大人になる前に【死望者】になれていたら、
すでに死ぬ事が出来ていたのかもしれない。
そんな風に思ったりもする。
しかし、現実の義実は、未だ死ぬ事も出来ずに、
【死望者】のまま、生き続けている。
そして、悩み続け、苦しみ続けてもいる。
だから、思うのだ。
否定されるべきだからこそ、肯定もされるべきだと。
また、人間社会は〔常識〕という価値観を共有しながらも、
〔常識〕から外れた者を許容する事も、
一方では大切になってくるように思う。
しかし、現実は、一方的な〔常識〕の押し付けが、
なされているように感じる。
〔常識〕という枠の中に収まる事を強要している。
許容すべきなのに、強要してしまっているのだ。
そう考えると、苦笑も禁じ得ないが、
当然に、苦笑している場合でもない。
そして、そのような強要が、
社会に閉塞感を生み出し、結果的に、
犯罪やいじめを助長していたりもするのではなかろうか。
義実は、いじめを受けてきた一人として、
そのように感じたりもするのだった。
勿論、義実からすれば、いじめは許す事は出来ない。
しかし、その許容を否定してしまう憎しみが、
いじめを助長しているのかもしれないのだ。
そして、助長されたいじめが新たな憎しみを生み出す。
正に、これこそ憎しみの連鎖なのではなかろうか。
そんな憎しみの連鎖から、
抜け出せずにいる自分が許せなくもなる。
だから、余計に死にたくなったりもする。
死ぬ事以外に、自分が、この憎しみの連鎖から、
解き放たれる方法を思い付く事が出来ない。
いくら考えても、絶望にしか辿り着かない。
やっぱり、死にたくなる。
どうして、生きなければならないのだろう。
〔生きたい〕と思う事が、当然である事は否定しない。
だからと言って〔死にたい〕と思う事が、
否定される謂われはない。
〔生きたい〕人間がいるのだから、
〔死にたい〕人間もいていいじゃないか。
皆が皆、同じである必要は何処にもない。
確かに、〔生きたい〕人間は普通であるのかもしれない。
そして、〔死にたい〕人間は異常なのだろう。
しかし、異常であろうとも、
現実に〔死にたい〕人間は存在していて、
それは〔生きたい〕人間が存在する理由と同様だと思う。
それなのに何故?
〔死にたい〕人間だけが否定される。
解らない。
納得出来ない。
そして、〔生きたい〕人間が生きようとする事が、
当然であるように、〔死にたい〕人間が死のうとする事も、
ある意味、当然であるようにも思う。
そして、その結果、死んでしまう事になったとしても、
それこそ、仕方がない事のように思う。
しかし、現実は〔死にたい〕と思う事が否定されてしまう。
〔死にたい〕と声を上げる事すら、
憚らなければならないような空気がある。
そんな中で〔死にたい〕と思ってしまう人は、
自己否定をするしかなくなってしまうのかもしれない。
周囲から否定され、自らも否定しなければならなくなる。
そのような者が、〔死〕を望む様になってしまう。
【死望者】になってしまうのではなかろうか。
そして、義実もまた、自己を肯定出来なくなって、
【死望者】になったのだった。
そんな自分が、死ぬ為の行動をするのは当然であろう。
それは、普通に求めるものを得る為の行動にしか過ぎない。
他の者達と何も変わらない。
それなのに、何故?
〔死〕を求める事だけが、否定されてしまう。
人の死は悲しいから。
本当に、そうなのだろうか。
義実は、そこにも大きな疑問を感じていた。
義実は思う。
【死望者】の一人として。
自分が死んだ時に、誰かに悲しんで貰いたいか。
義実は、そうは思わなかった。
別に悲しんで貰ったからって、どうにもなるもんでもない。
ただ、それは義実が死を望んでいるから、なのだろうか。
考えてみる。
自分がもし、生きる事に希望を持てていたら、
自分が死んだ時に悲しんで貰いたいか。
それでも、やっぱり悲しんで貰いたくないように思う。
勿論、実際にそうなれたら、違ってくるのかもしれない。
しかし、想像の範囲では、
やはり、悲しんで貰いたいとは思えない。
それよりも、いつまでも悲しんでなんかいないで、
早く元気になって貰いたい、と思うんじゃなかろうか。
正直、義実には、そう思える相手はいなかった。
義実は家族、特に父親に対しては憎しみも強いので、
余り、大切に思う対象にはならないように思う。
だから、あくまでも、想像の範囲になってしまうが、
本当に大切に思える相手には、悲しんで貰うよりも、
元気になって貰いたいと思うように、思ったりするのだ。
そして、そう考えると、残された者の悲しみというものは、
ある意味、身勝手なもののようにも思えるのである。
勿論、残された者が自分自身の心の中を整理する為に、
悲しむ事は必要ではあるのかもしれない。
そして、それについては否定するつもりもない。
しかし、その一方で身勝手な悲しみもあるように思うのだ。
その残された者達の身勝手な悲しみが、
余計な憎しみを生み出してはいないか。
義実は思う。
『罪を憎んで人を憎まず』
本当に素晴らしい言葉だと。
義実自身、憎しみに捉われてもいる。
しかし、だからこそ許せるようになりたいとも思う。
もし、許す事が出来たら、
憎しみの連鎖から抜け出せるんじゃなかろうか。
そう。
許す事。
それが生きる事でもあるように思う。
そして、許す事が出来ない自分は〔死〕に付き纏われる。
ある意味、当然であるようにも思う。
そんな義実だからこそ、誰かを許したいと思う。
自分を許したいと思うのだ。
そして、それが出来るようであれば、
生きる事に希望を抱く事も出来るのかもしれない。
しかし、現実の義実に、それは出来なかった。
だから、絶望し、【死望者】になったのだ。
そして、【死望者】になった義実が思う。
【死望者】になった義実が感じる。
何故?
どうして?
〔生〕とは一体。
〔死〕とは一体。
現代社会は〔命〕を誤解しているんじゃなかろうか。
それとも、誤解しているのは自分の方なのだろうか。
判らない。
でも、思う。
そして、感じる。
〔命〕の尊さを。
〔命〕の儚さを。
そう。
〔命〕は尊いだけではない。
〔命〕は儚くもあるのだ。
尊いからこそ儚くて、儚いからこそ尊い。
だから、人は精一杯に生きなければならない。
自分はどうだろう。
精一杯に生きてきた。
精一杯に生きてきた結果、【死望者】になったのだ。
寧ろ、義実には手を抜いたりする余裕は無かった。
義実に出来る事は、精一杯にやる事だけだった。
それでも、失敗を繰り返し、傷付いて傷付いて、
【死望者】になったのだ。
もう、これ以上はどうしようもなかった。
自分は間違っているのかもしれない。
例え、間違っていても、自分は〔死〕を望んでいる。
それだけは何も変わらない。
変わらない以上、例え今日もまた、失敗したとしても、
いずれまた、繰り返すだけの事だと思う。
そう。
変わらない以上、【死望者】である以上、
自分は死のうとするしかない。
〔死〕という結果が得られるまで、
死のうとするしかないのだ。
そう。
その結果を得る為に、
わざわざ、〔此処〕まで来たのだから。
そして、〔此処〕まで来た自分が思う。
〔此処〕まで来て感じる。
自分のこの〔死にたい〕気持ちは、
〔生きたい〕事の裏返しなのではないだろうか。
〔生きたい〕から〔死にたい〕のである。
そう考えると〔死にたい〕と思う事は、
〔生きたい〕と思う事と同じなのだ。
義実にとっては、死を求める事自体が、
生きる事になってしまっているのかもしれない。
だから、生きている限り、死を求めてしまうのだろう。
そして、〔死〕という結果を求めてしまう事が、
【死望者】というものでもあるのだ。
そう。
義実は今もまだ、間違いなく【死望者】であったのだ。
- 2016/03/08(火) 06:05:44|
- 参章/死望者
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【死望者】になった義実は、先ず、死を得る手段を考えた。
時々、テレビドラマ等で見掛ける、手首を切る事。
『う~ん。痛そうだな』
首を吊る事。
『これは出来るかもしれない』
よくニュースになったりする、鉄道等への飛び込み。
『出来れば、何の関係もない他人は巻き込みたくないな。
それよりも余り、ニュースになったりしたくはない』
高所からの飛び降り。
『建造物の上からは避けたい。
他人を巻き込む可能性もあるし、
止められる可能性も高いだろう。
だから、何処かの崖の上からだったら』
最後は薬の大量服薬。
『これが一番、楽に死ねそうかな』
とりあえず、これだけ思いついたので、
この中で優先順位を付ける。
1番目は〔薬の大量服薬〕かな。
2番目は〔首吊り〕かな。
3番目に〔崖から飛び降り〕。
以下、〔鉄道への飛び込み〕、〔手首を切る〕となった。
そこで思った。
先ず、自分が如何に、痛みに対する恐怖に弱いか。
〔手首を切る〕が一番最後になったのは、
そういう事だろう。
更に、切るのは手首ではなく、
腹の方が確実だと思い付いた。
しかし、どちらにしても、
義実は自分に、それが出来るとは、到底思えなかった。
そして、いじめをすんなりと、
受け入れてしまっていた自分に、少し納得をした。
〔暴力を恐れる余りに〕、という意味で、
仕方がなかったのかもしれないと、改めて思った。
とは言え、〔自分が金銭で自分自身を売り渡した〕、
という事実は、何も変わらない。
そう思うと、再び、憎しみが沸き上がってくる。
自分をいじめてきた奴等。
父親。
自分自身。
何もかも。
そして、〔何もかも〕なのに、
無関係の他人に迷惑を掛けたくないと、
思うのは何でだろう。
恐らく、飛び込み自殺をする方は、それだけ、
社会に対する憎しみが強いからなのかもしれない。
しかし、自分は、そこまでにはなれない。
確かに、義実にも社会に対する憎しみはある。
だから、〔何もかも〕にはなるのだが、
それでも、迷惑掛けたくない、と思う理由。
一つ、思い付いたのは、義実が自分自身、
余り、目立つ事が好きではないからではないか、と。
誰かを巻き込む事になれば、ニュースになるだろう。
義実はどうしても、それは避けたかった。
とにかく、自分が騒ぎの中心になるような事が嫌だった。
だから、巻き込んでしまう誰かに対する気遣いよりも、
あくまでも、自分の都合でしたくないのだろう。
そう考えると妙に、納得が出来たりもする。
死ぬ事を考えたら、
そんな事を気にしても仕方がないとも思うが、
それでも、嫌なものは嫌だった。
逆に、そのような都合が無ければ、他人の事なんか、
一々、構っちゃいられなかったりもするのかもしれない。
また、より多くの方に迷惑を掛ける事が、
社会に対する復讐にはなるのかもしれないが、
果たして、それで本当に報われるのか。
その辺、義実には全然解らなかった。
ただ、自分に置き換えると、
それで復讐が果たされるようには思えなかった。
そして、もう一つ、思いが過ぎる。
自分が余り、社会との繋がりを強くは求めていない。
その事が、義実の憎しみを社会に向かわせない、
もう一つの理由として、考えられるように思った。
社会に対して、繋がりを求める気持ちが強ければ強い程、
社会に裏切られた、と感じた時に、
社会に対する憎しみが強まる。
これは決して、自殺に限った事ではなく、
社会に対する復讐と受け取れる行為全てに、
そういう一面があるように思った。
また、義実はいじめに対して、
何の行動も起こしてくれなかった、
他の同級生達には余り、憎しみを感じなかった。
義実が、その立場に立って、
いじめられている同級生に対し、
何か行動出来るのか、を考えると、
とても、何か行動出来るとは思えないので、
その事を責める気にはなれなかったからだ。
勿論、当時、実際に助けてもらえていたら、
どんなにありがたかった事か。
しかし、今になって考えると、助けてもらえなかった事で、
同級生を責めるのは、余りにも酷なようにも思う。
この辺りも、義実が社会に対して繋がりを、
強くは求めていない事が、
大きく影響しているように思った。
周囲に対する期待が大きい程、
直接の関わりが無い周囲の者達に対しても、
憎しみが沸いてしまう。
そのような事があるのではなかろうか。
とにかく、義実は社会に対する憎しみはあっても、
無関係の誰かまで巻き込むような、
復讐をしようとまでは思えない。
義実が復讐するとしたら、何に?誰に?
当然に、先ずは、義実の事を直接いじめてきた奴等である。
そして、それを見て見ぬ振りしてきた大人達であろう。
しかし、誰かをいじめるような奴が、
その対象が自殺したからといって、
傷付くような性質なのか。
中には、そういう奴もいるのかもしれないが、
そうでない方が多いような気がする。
いじめをするような奴が、そのような細やかな神経を、
持ち合わせているとは、到底思えない。
そうであれば、〔自殺〕は復讐とは、
なり得ないのかもしれない。
もし、死ぬ事で、いじめてきた奴等を呪う事が出来れば、
復讐は可能なのかもしれないが、
それはちょっと、現実的ではないように思う。
結局、〔自殺〕は復讐を目的にすると、
空振りに終わる危険性も高いように思った。
また、親や教師等の大人達に対しては、
〔自殺〕が復讐には、なり得るのかもしれない。
親にとって自分の子供が、
教師にとって教え子が、自殺してしまったら、
それなりのダメージはあるだろう。
しかし、それなりのダメージを与えたところで、
自分は、復讐を果たした、と思えるのだろうか。
そうは思えない。
自分の憎しみは、そんな容易いものではない。
では、どうなれば、復讐を果たした、と思えるのだろうか。
判らない。
ただただ、憎い。
ひょっとしたら、復讐では自分の中の憎しみを、
追い出す事は出来ないのかもしれない。
そのように考えていくと、
今度は復讐する事自体に、疑問が生じたりもする。
本当に自分は復讐をしたいのか。
復讐で自分の中を憎しみを何とか出来るのか。
ひょっとしたら、復讐以外の選択肢も、
あるのかもしれない。
もし、復讐という悪意で、誰かを傷付けてしまったら、
いじめという悪行を認めてしまう事にも、
なり得るのではなかろうか。
例え、切っ掛けが相手にあったとしても、
結果として、悪意で誰かを傷付けてしまったら、
同じ穴の貉になってしまうように思った。
あんな奴等と同類にはなりたくない。
あんな奴等の為に、自分が加害者になるのは馬鹿らしい。
そもそも、復讐自体が空振りに終わる可能性も高いのに、
成功したら成功したで、
自分が罪悪感に苛まされる事にもなりかねないのだ。
それも、あんな奴等の為に。
そのように考えていくと、自殺する理由として、
復讐というのは適当ではないように思った。
勿論、死ぬ事を考えたら、罪悪感に苛まされる心配は、
しなくてもいいのかもしれないが、
それでも、復讐が果たされる事は少ないように思う。
やはり、復讐をする為には、死んだりするよりも、
生きていないと駄目なような気がする。
自分はどうなんだろう。
義実は考えてみた。
復讐がしたいのか。
死にたいのか。
復讐が出来るのであれば、してみたい気がしないでもない。
しかし、復讐が出来るとは思えない。
何の才能も特技もない自分が、
どうやって復讐したらいいのか、全く判らない。
それに復讐は出来たとしても、
同じ穴の貉になるだけなのだ。
あんな奴等と同類にだけはなりたくない。
そう考えると、やっぱり、死にたい。
復讐なんてもう、どうでもいい。
死ぬ事さえ出来るのであれば、
後はもう、全て、どうでもいい。
自分が進むべき選択肢は復讐ではなく、
〔自殺〕だと思った。
復讐の為の〔自殺〕ではなく、
あくまでも、自身の〔死〕を望む気持ちに、
報いる為の〔自殺〕である。
そして、義実は自殺を試みる事にした。
先ずは、一番楽そうに思えた〔薬の大量服薬〕を。
睡眠薬は父親に不眠を訴えれば用意してくれた。
父親は知人の医師から譲ってもらっているようだった。
とにかく、義実の父親はよっぽどのものでない限り、
金銭で何とかなるものは何でも与えたくれた。
そのおかげで睡眠薬を入手する事は、
何の問題も無かった。
そして、50錠程、睡眠薬を溜め込んで、
それを一度に服薬し、そのまま眠りについた。
しかし、いくらもしないうちに、薬の殆どを吐き出して、
意識が朦朧とするまま、病院に搬送され、胃洗浄を受ける。
その胃洗浄が地獄の苦しみだった。
一番楽だと思ったのが、大間違いだった。
もう二度と、薬の大量服薬はするまいと思った。
元々、痛みに対する恐怖に弱い義実にとって、
胃洗浄の苦痛に、かなりの恐怖を植付けられた。
そして、三日間静養し、職場に戻ったが、
当然に解雇された。
別に、自殺未遂がバレた訳ではないが、
一日無断欠勤し、そのまま三日間休んだので、
元々、解雇するタイミングを測っていたであろう、
会社の方からしたら、ちょうど良かったのだろう。
そして、義実が自殺未遂をした、という事実を知るのは、
家族と病院で関わった方々だけであろう。
恐らく、というか先ず間違いなく、
病院関係者には父親が口止めをしているはずである。
二度程、そう推測出来るような場面を目にした事があった。
近所には適当な病名を告げているようである。
そして、そんな父親に義実は絶望したのだ。
だから、再び、自殺を試みようと思った。
とは言え、すぐにとはいかないので、
とりあえずは、仕事を探す。
別に、仕事はしなくとも養ってはもらえるだろう。
しかし、父親に絶望している義実は、
そんな父親の世話になるのは我慢がならなかった。
出来れば、実家を出て一人暮らししたいくらいなのだが、
仕事が長続きしない義実には、それも難しかった。
とにかく、出来る限り自立する為にも、
仕事は探す必要があった。
そんな義実にとっては仕事を探すのも、
そんなに簡単な事ではなかったが、
選り好みしなければ、何とかはなった。
元々、何の特技も資格も無い義実には、
選り好みしてる余裕は無い。
とりあえず、働かせてもらえる所があれば、
何処でも構わなかった。
そして、暫くすると、職場で義実は孤立する。
それから、暫くすると、今度は解雇される。
いつもの事である。
そして、何度か職を転々としている間に、
次の自殺をするタイミングを謀った。
一度目の自殺未遂の時から、二年程経って、
今度は首を吊った。
自宅の自室で、天井の梁にロープを括り、
机の上から降りるように首を吊った。
義実は、そのまま気を失った。
気が付くと、兄に介抱されていた。
天井を見ると、ロープが切れていた。
左の足首と左手の薬指に激痛が走る。
どちらも骨折していた。
そして、再び、病院に担ぎ込まれた。
しかし、また入院はさせてもらえなかった。
治療を終えたら、自宅へ連れ戻された。
義実は別に、入院したかった訳でもないのだが、
父親がまた、義実が自殺を試みた事実を、
隠そうとしたのだった。
義実の首にはロープの跡がくっきり残っていた。
入院させるよりも自宅へ連れ帰った方が、
事実を隠すのに都合がよい、と判断したのだろう。
そして、それから二年程、義実は父親に軟禁された。
父親の世話になるのは嫌だったが、
首吊りも失敗に終わった事で、かなりのショックを受け、
何もする気になれなかったので、
とりあえずは、甘えるしかなかった。
せめてもの抵抗にと、可能な限り、食事を抜いた。
一週間に一度とか、二週間に一度とか、
長い時は一ヶ月くらい抜いた事もあった。
そのまま、死んでしまえれば、と思ったりもしたが、
限界がくると、どうしても食べてしまう。
結局、二年間で70㎏近くあった体重も、
40㎏を切っていた。
そんな義実の様子を見て父親は、
このまま軟禁し続ける事も問題だと思ったらしく、
義実と話し合いをして、軟禁を解く事になる。
義実も軟禁を解いてもらうなら、働きに出たいので、
体力を戻す為にも、と無理な節制は止めるようにする。
ただ、自分がまた、自殺を試みようと思っている事は、
言わずにおかなければならなかった。
言ってしまったら、父親からしたら、
軟禁を解く訳にいかなくなるだろう事は、想像に難く無い。
再び、自殺を実行する為にも、
これ以上、父親の世話になる事を避ける為にも、
そうするしかなかった。
そして、三ヶ月もすると体重も60㎏くらいまで戻り、
義実は仕事を探し始める。
仕事が見つかり働き始めると、
義実は再び、自殺するタイミングを謀る。
今度は〔崖からの飛び降り〕を考えていた。
そして、下調べをして、実行する場所も特定した。
しかし、なかなか、その気になれなかった。
思った以上に前回の失敗が、
義実の精神を弱らせていたようだ。
実際に、本当に参ってはいた。
死ぬ事すら出来ない自分自身に、更なる絶望を感じた。
自殺を実行するには、相当な気力も必要なのである。
結局、気力が回復し、再び、この崖に来るまで、
前回の未遂から、約五年もの歳月を経ていた。
下調べで来た時からは、四年程、経っていた。
義実はもう、二十八歳になっていた。
- 2016/03/08(火) 06:04:04|
- 参章/死望者
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風が強く、吹いている。
雨も強く、降っている。
崖下の海の波も、まるで、崖に襲い掛かるように、
激しく、ぶつかって来ていた。
台風が来ているのである。
そんな中で、一人の男が崖の上に立っていた。
名は、相良義実、という。
年齢は、二十八歳。
飛び降り自殺をする為に、〔此処〕へと、やって来たのだ。
〔此処〕とは、何処なのか。
詳しく明かす事は出来ないが、普段であれば、
少ないながらも、観光客の数人くらいは、
いるのかもしれない。
だからこそ、義実は〔今日〕を選んだのである。
単に、夜中でも人目につく可能性は少ないが、
〔今日〕のような日の方が、確実に人目につかずに、
〔此処〕へと、辿り着ける。
そんな風に、義実は考えていた。
そして、義実の考えた通り、〔此処〕へ来るまでに、
義実が人を見掛ける事は一切無かった。
だから、義実が人目についた可能性も、
限り無く少ないはずである。
また、〔今日〕のような日の方が、
自分の最期には相応しい。
そういう思いも、義実にはあった。
そうして、近くの駐車場で車を止め、
〔此処〕まで、歩いて来たのだ。
そして、義実は今、強風に煽られながら、
崖の上に立っているのである。
「ふふ」
義実は一人で小さく苦笑った。
これから、飛び降りようとしている男が風に煽られて、
崖下に落ちるのを必死で堪えているのである。
義実は、そんな自分が少し憐れんで見えた。
そして、堪えるのを止めて、風に煽られるままに、
崖下へと落ちてみるのも悪くはない、と。
もし、そうなった場合は、自殺ではなく、
事故死になるのだろうか。
義実は、ふと、そんな事を思った。
そして、すぐに、それを打ち消した。
実家の自室に遺書を置いてきてあるからだ。
自分で飛び降りようとも、風に煽られて落ちようとも、
状況からして、自殺という事になるであろう。
それにしても、いざ、これから飛び降りよう、と思うと、
怖くて怖くて仕方がない。
勿論、死ぬ事自体も怖いのだが、
〔此処〕の高さが、とてつもなく怖く感じるのである。
義実は高所恐怖症ではない。
普段であれば、何の問題もないだろう。
しかし、これから飛び降りようと思うと、
この高さが、とても恐ろしく感じるのだ。
そして、高所恐怖症の人は落ちる事を考えてしまうから、
高所において、恐怖を感じるのかもしれない。
義実は、ふと、そんな事を思った。
「ふふ」
そして、義実は再び、一人で小さく苦笑った。
これから、死のうというのに、
つまらない事を考えるものだ。
そんな事よりも、今、自分が感じている恐怖を、
なんとかしなければならない。
いつまでも、こうして、
崖の上で突っ立っていても仕方がない。
しかし、どうしても飛び降りる事が出来ない。
これだけの強風の中、立っているだけでも正直しんどい。
そこで、義実は一旦、気を落ち着かせようと思った。
そして、義実は立つのを止めて、
崖の上に大の字で横になった。
そして、目を瞑って思い巡らす。
二週間程前に、職場を解雇された。
雇用する側からしたら、当然であろう。
自分がどれだけ、周囲に迷惑を掛けてきた事か。
義実は一生懸命に働いた。
しかし、度々とんでもないチョンボを犯してしまう。
その度に、周囲に尻拭いをさせてしまっていた。
最初は優しく接してくれていた方からも、
失敗を重ねていくにつれ、
次第に冷たくあしらわれるようになり、
義実は職場で孤立していった。
義実は本当に必死に働いた。
恐らく、それは、周囲にも伝わってはいる。
だから、失敗しても、
その失敗を責められる事は余り無かった。
最初は怒られたりもするが、失敗を繰り返すうちに、
次第に義実からは距離をおくようになっていく。
義実と関わる事で、義実が何か失敗した際、
自分が、その失敗の尻拭いをしなければならなくなる事を、
避けようとする。
義実を厄介者扱いし、その厄介者を押し付け合うように、
誰も義実とは関わろうとはしなくなる。
周囲の者達だって、自分の仕事があるのだ。
わざわざ積極的に誰かのフォローをする程、
ゆとりがあるわけでもない。
それでも、慣れないうちは仕方がない事だと、
誰かが誰かのフォローをする。
それは、何処の職場でも当て嵌まる事だろう。
しかし、いつまでも、そういう訳にはいかない。
そのうちに見放されて、孤立してしまう。
それは、決して、周囲の者達が悪い訳ではない。
何度も同じ様な失敗を繰り返す、義実自身に問題があると、
義実自身も、その事は判ってはいた。
それでも、どうしても、
何かしら大事な事を失念してしまい、
同じ様な失敗を繰り返してしまう。
義実にはもう、どうする事も出来なかった。
そして、そのような事は、
その職場に限った事では無かった。
これまで、義実は幾つもの職を転々としてきたのだが、
その度に失敗を繰り返し、職場で孤立して、
挙げ句の果てに解雇されてきた。
恐らく、義実は何かしらの障害を、
抱えていると思われるが、
義実自身、その事には何の知識も自覚も無かった。
障害ではなく、自身の不注意や、
能力の欠如に因るものと考えていた。
そして、それらも含めた上で、
自らの不運を嘆く以外に無かったのである。
そして、更に遡ると、学生時代もろくな事は無かった。
小学生の時には〔義実〕という名前の所為で、
男のくせに女の子みたいだ、と、からかわれ続け、
それもあってか、良好な人間関係を築けず、
中学生以降も、いじめを受けたりして、
沢山傷付いてもきた。
また、そんな中でも一度だけ、異性に恋心を抱いたのだが、
その想いを伝えても、受け止めては貰えず、それどころか、
その事を晒され、学校中の笑い者になったりもした。
それ以来、女性とは、まともに会話も出来なくなった。
そして、学力の方も全くと言っていい程、出来が悪く、
運動や芸術的な才能も、全く感じられなかったので、
大学に進学する事も出来ず、何の資格も技術も無いまま、
半ば無理矢理、社会に放り出されたのである。
今、思い返してみても、義実の過去には、
本当に何一つ、いい思い出が無かった。
そう考えると、此処まで生きてこれた事が、
不思議に思えるくらいである。
実際に、義実は過去に二度、自殺を試みた。
一度目は、睡眠剤を大量に服薬した。
しかし、いくらもしないうちに、殆どを吐き出してしまい、
そのまま病院に搬送され、胃洗浄を受ける事になった。
結局、死ぬどころか、それまで経験した事も無いような、
苦痛を味わっただけだった。
二度目は、首を吊った。
しかし、途中でロープが切れて、死にきれなかった。
その時に、気を失ったまま落下した。
気がつくと、左の足首と左手の薬指を骨折していた。
本当に散々な結果ばかりであった。
更に、それら、義実が自殺を試みた、という事実は、
父親に揉み消されてしまった。
勿論、それは、世間体という意味で、
義実も理解出来ない事ではなかった。
しかし、親子の信頼関係という部分で、
義実は裏切られたように感じていた。
教育関係の仕事もしている父親にとって、
自分の息子が自殺を試みた、なんていう事実は、
隠したくもなるだろう。
恐らく、自分が父親の立場に立ったら、
同じ事をするように、義実は思った。
だから、決して周囲に事実を伝えて欲しかった訳ではない。
義実にとっても、そんな事を周囲に、
わざわざ知られたくはない。
しかし、その一方で、そのような事実を隠される事自体が、
義実自身の存在を否定されたようにも感じたのだ。
では、一体、どうして欲しかったのか。
義実にも、それが全然わからなかった。
ただ一つ言えるのは、それ以前から、
父親に対する信頼関係は揺らいでいたが、
それにより、決定的にはなった。
母親とは中学生の時に死別している。
癌だった。
大腸癌が色んな所に転移してて、手遅れだった。
二つ上に兄が一人いる。
兄は義実と違って、優秀だった。
運動や芸術的な才能は義実と大差ない感じだが、
各教科の成績は頗る良かった。
父親は、そんな兄を可愛がった。
そして、義実は、そんな兄とよく比較された。
兄とは、特別に仲が悪かった訳でもないが、
良かった訳でも無かった。
比較されればされる程に、
兄との距離が開いていくように感じた。
それは兄も同様だったであろう。
だから、悪くもなく、良くもなかったのである。
そして、義実にとっては、そんな兄の存在そのものが、
日に日に苦痛にもなっていった。
そんな義実にとって、
母親が元気なうちは、まだ救いもあったが、
母親と死別して以降は、本当に地獄のような日々が続いた。
学校では毎日いじめを受けていた。
暴力によるいじめは殆ど無かったが、
言葉によるいじめは元より、
何よりも、所有物の破壊、強奪、盗難が酷かった。
更には、強請集りである。
時には、義実から強奪、盗難した物を、
売り付けられたりもした。
義実の家は元々、裕福な家庭であり、
父親の収入も高かった。
だから、少額であれば、毎日、義実が無心しても、
何も言わずに与えてはくれた。
例え、少額でなかったとしても、
所有物の破損や紛失等の明確な理由があれば、
買い与えてもくれた。
しかし、義実が本当に望んでいたのは、
そんな事では無かった。
父親に助けを求めていたのだ。
そして、父親であれば、そのような義実が、
いじめを受けている事は容易に想像出来たはずである。
しかし、義実の父親は、それを承知の上で、
見て見ぬ振りをし、金銭での解決を図ったのである。
少なくとも義実は、そのように受け取った。
今、思えば、きちんと言葉にして助けを求めていたら、
父親はどうしたのだろうか。
そんな事を思ったりもするが、
当時の義実は、何でも金銭で解決しようとする父親に、
不信を募らせるだけだった。
そして、義実もまた、金銭での解決を図ったのだった。
とは言え、いじめを受けている当時の義実には、
そんな事に気付くゆとりもなく、
ただ一日を、無事に過ごす事が精一杯だったのである。
その事に気付いたのは、社会に出てからだった。
幾つかの職を経て、その職場でも孤立を深めていたある日、
突然に、その事に気付いたのだ。
義実が暴力を受けなかったのは、
義実が従順だったからであり、従順だったから、
いじめを助長していたのかもしれなかった。
義実は暴力を恐れる余り、知らず知らずのうちに、
自分自身を、いじめる相手に売り渡していた。
自分もまた、父親と同じ様に、
金銭での解決をしてしまっていた、と気付いた。
義実のいじめという現実に対し、見て見ぬ振りをした、
父親と自分が同じであった、と気付いたのだった。
たまらなく、悔しかった。
たまらなく、苦しかった。
たまらなく、辛かった。
たまらなく、空しかった。
たまらなく、寂しかった。
父親に続いて、自分自身にも裏切られた様に感じた。
蛙の子は蛙とは、よく言ったものだ。
父親と自分との血の繋がりに、言い知れぬ嫌悪感を感じた。
そして、許せなくなった。
自分の事をいじめてきた奴等。
父親。
自分自身。
何もかも。
この時、義実は初めて、【死望者】になったのだった。
- 2016/03/08(火) 06:02:36|
- 参章/死望者
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